【深夜版】書いてる途中で泣きました。僕はおじいちゃんみたい人に希望を与える人間になりたい

こんばんは、山崎です。

今日は
「僕はおじいちゃんみたい人に希望を与える人間になりたい」
と言う話をシェアしていきます。

先日、母親の実家に家族で帰った時、
僕は今年80歳を迎える僕の母方の祖父に、
祖父が大好きな焼酎を送ったんです。

そうしたら、後日、こんな手紙をいただいたのです。

まさか祖父から、
手紙を受け取るなんて思いもしなかったので、
むちゃくちゃビックリました。

そして、手紙の内容を読み、
やっと、やっと、やっと少しは

お礼を返せるようになったなと思うと、
涙が止まらなくなりました。

というのも、僕は幼い頃から数年前まで・・・

 

涙が止まらなくなった理由としては、
ずっーーーーーーーと祖父に心配かけっぱなしだったからです。

 

けど、そんな僕に対して祖父はずっーーーーーーーーと僕に優しかった。

 

僕は幼稚園から小学生2年くらいまで、
上手く言葉が話せなくて、
色々な人にしょっちゅう馬鹿にされていました。

た行、ら行などが上手く発音できない。

僕の名前は山崎亮(やまざきりょう)というので

「りょう」の「り」が正しく発音できなかったのです。
で、幼稚園の頃なんかは自分のことを

「りょうちゃん」と言っていたのですが
上手く発音できないことから

「ようかん」

と周りには聞こえていたらしく、
クラスメイトにはしょっちゅう馬鹿にされていました。

クラスメイト
クラスメイト
いやーい、ようかん、ようかん

と馬鹿にされ、
弱虫な僕はいつも泣いていました。

また日本語上手く話せないことからも

クラスメイト
クラスメイト
え?なんいったの?ぜんぜん言ってることわからないよ

と、言われることもしょっちゅうでした。

だから、僕は人と話すのが嫌になった。

その後の僕は全く話さない無口な少年になり、
いつも一人で遊んでいました。

そして、友達がいないので、
家に帰ってきてもいつも一人っきり。

大好きだったウルトラマンのビデオをいつも見ていたり、
ウルトラマンごっこを一人で毎日のようにやっていました。

で、そんな僕に対して

両親から話を聞いて事情がわかっているはずなのに
僕のおじいちゃん(祖父)は、

「りょうちゃんはウルトラマンが好きなのか。
じゃこれからウルトラマンのグッズ買いに行くか!」

と、なんで友達と話さないの?とか
友達を作らないとダメだよ!とか一切言わずに、

ただただ僕の大好きなウルトラマンの人形を買ってくれたのです。

 

また僕が言葉をうまく喋れないことをわかっているのに、
一切そのことには触れてきませんでした。

今だからわかるのですが、
普通でしたら孫が心配になって、

僕の両親に
「ああした方がいい」「こうした方がいい」
とか言うことでしょう。

けど、おじいちゃんは僕と両親に対して、
一切そんなのこと言わずに、

僕が大好きだったウルトラマンのグッズを
いつも実家に帰るたびに買ってくれました。

だから、僕は幼稚園に行くのは大嫌いでしたが、
おじいちゃんの家に行くときだけはいつも楽しみでした。

頭が悪く、運動がダメな僕に優しいおじいちゃん

また僕が小学生になって、
日本語はようやく話せるようになったものの
テストはいつも赤点。

スポーツ苦手で運動会の50m走は、
いつも最下位かケツから2番目。

そして、コミュニケーションが取るのが苦手な僕は、
相変わらず友達が殆どいなくて、
家で一人でゲームばかりをしていました。

しかし、そのようなダメな僕に対して、
幼稚園の頃と同じようにおじいちゃんはずっと優しかった。

おじいちゃんの実家に行くと
いつもお小遣いをくれては、

「りょうちゃんは頭が良いから立派な大人になるな!」

と、何も取り柄がない僕のことを
いつも褒めてくれて応援してくれた。

また夏休みに実家に行った時の事に
今でも鮮明に覚えることがあります。

それは僕が夏休みの宿題の計算ドリルを、
祖父母の実家でやっていた時に、

たまたま、おじいちゃんが通りかかり、

「おじいちゃんとおばあちゃんの家に来てまで、
勉強をしているなんてりょうちゃんは本当に偉い!

絶対頭良くなるなー!
将来は立派な大人になるに間違いない!」

と、すごく褒めてくれたのです。

当時の僕の夏休みの宿題の計算ドリルは、
おびただしい計算ミスで赤いチェックで間違いだらけ。

けど、その計算ドリルをパラパラ見た上で、
このような言葉をかけてくれた。

さらに、

「りょうちゃん、頑張っているからお小遣いあげないとな。
けど、無駄遣いしたらダメだからなー。」

と言って親に内緒で、
こっそりお小遣いをくれたりしました。

そのお金でこっそりと
近くの酒屋にスーパーカップのバニラ味を買いに行った思い出は、
本当に、本当に忘れられません。

幼少の頃から僕は何も取り柄がなく、
人より劣ることばかりだった僕は、
殆ど褒められた記憶がありません。

だけど、おじいちゃんだけは
いつも僕のことを褒めてくれました。

いつも、いつも、いつも実家に行くたびに
おじいちゃんは僕のことを褒めてくれました。

そのことが当時の僕にとって本当に嬉しかった。

本当に、本当に嬉しかった。

勉強もスポーツもできなく、
何も取り柄ない僕のことを
いつも褒めてくれる僕のおじいちゃん。

そして、それは僕が中学、高校になっても。

僕は中学、高校とテニス部だったのですが、
(友達に無理やり差そわる感じで入りました)

幼い頃から運動神経が良くない僕は、
テニス部に入っても、
その実力はいつも下から数えた方が早かった。

要はヘタクソということです。

そのおかげで部内戦で負けてしまうことから、
公式の大会に出場することもできないことが殆どでした。

中学生の時に

友達
友達
山崎は弱いからダブルス組みたくない

と、友達に言われた時は本当ショックでした。

ほぼ毎日休みなくテニスの練習をしているのに、
まったく上達しないダメ自分が本当に嫌になりました。

まぁ今思えばしっかりテニスの勉強をしていないのが
原因なのですが、当時は気づきませんでしたので。

でも、そんなダメな僕に対してもおじいちゃんは優しかった。

高校生の時、
祖父母の実家に帰った時に、

「りょうちゃんはテニス部だったよね。テニスは面白いかい?」

と聞いてきては、

僕はおじいちゃんに心配をかけなくないので、
無理やりに

「すごく楽しいよ!!!」

と言っていました。

けど、無理に言っているのが既にバレているのか

「それは良かったなー。
けど、大事なことは勝ち負けではなく、

一生懸命に頑張り続けることだよ。
それが大人になってから生きるんだよ。

りょうちゃん、頑張ってな!」

と、僕に言ってくれた。

 

おじいちゃんの言葉に、
僕は思わず涙ぐんでしまいました。

正直、実力がなくてテニスが弱いことが嫌で、
中・高校の時は何度も部活をやめようと思いましたから。

けど、何度もこのおじいちゃんの言葉に
僕は救われて中高6年間テニスを続けることができた。

そして、テニスを続けたおかげで、
数少ない友達が高校の時にできて、
今でもたまにですが一緒に飲みに行ったりすることもあります。

そんな生涯にわたる友達ができたのも、
部活をやめなかったおかげ。

だからこそ、おじいちゃんのおかげ。

僕の人生に僕以上に希望を持ってくれている人がいる

また大学生になって対人恐怖症になっている時も、
おじいちゃんは僕のことを全く心配していなかった。

「りょうちゃんもついに大学生か!

りょうちゃんは頭が良いから良い大学に入ったし、
立派な社会人になるのが楽しみだ。

おじいちゃんはいつも応援してるよ。」

と、大学生の時は会うたびに、
僕にこのような声をかけてくれた。

僕は全く頭の良い大学など入っていない。

偏差値46ぐらいのFラン大学。

僕のおじいちゃんは明治大学卒業とエリートなので、
おじいちゃんから見れば僕なんてただのバカ。

だけど、一切そんなことを言ってきませんでした。

僕のことをいつも優秀だと、いつも声をかけてくれた。

また、立派な社会人になるどころか、
対人恐怖症で人とまともに話せなくなるレベルだった当時の僕。

 

そんな僕に対して応援してくれる人がいる。

 

幼少の頃からずーっと応援してくれている。

 

正直、この対人恐怖症の時は、
僕は人生が嫌になって自殺も考えたこともあります。

だけど、僕のことを幼い頃から応援してくれている。

おじいちゃんの気持ちだけは、絶対に裏切りたくなかった。

僕のことを応援してくれるおじいちゃんの気持ちを。

僕の人生に僕以上に希望を持ってくれている人がいる。

 

だから僕は自殺をギリギリのところで、
踏みとどまることができました。

このように幼い頃から、
僕は本当おじいちゃんには助けられっぱなしでした。

僕は何度救われたことか。

さらに、大学を卒業して家の家業を継いでいた時も、
不器用な僕は仕事でヘマなことがばかりだったのですが、

「親の仕事継ぐなんて偉い!!!!
りょうちゃんは絶対立派な先生になるぞ!!!」

と、すごく褒めてもらいました。

そして、その数年後に、
僕はインターネットビジネスに出会い、
稼げるようになりました。

その時も

「りょうちゃん、ネットで独立するなんて本当に凄いなー。
けど、りょうちゃんは小さい頃から優秀だったからな。

おじいちゃんはネットとかよくわからないけど、
本当におめでとう!」

と、まるで自分のことのように嬉しがってくれた。

このように幼い頃から今までおじいちゃんは、
ずーっとダメな僕のことを支えてくれた。

本当、本当に何度感謝しても感謝しきれません。

 

苦しい時、嫌な時、辛い時に、
僕が逃げずに行動できたのは本当におじいちゃんのおかげ。

 

僕はそんなおじいちゃんに、

過去の山崎
過去の山崎
もう僕のことは心配しなくても大丈夫だよ

と、大学を卒業した時ぐらいから
ずっと、ずっと言いたかった。

 

けど、大学を卒業して、
僕は一応家業の接骨院で僕は働き出したけど、

自分の中で全然余裕がなくて、
「もう大丈夫だよ」とおじいちゃんに
言える自信がなかった。

 

働き始めたけど、コミュ障だし、自分に自信がないし、
仕事もヘマが多くて、しっかりできない。

しかし、インターネットビジネスに出会い、
僕は勉強をしないことからすごい遠回りをしましたが、

現在はお金にも困らずに、時間にも縛られず、
そして、煩わしい人間関係に対して悩むことがない生活を
手に入れることができました。

そして、僕はやっと心から「もう大丈夫だよ」と
おじいちゃんに言える自信がつきました。

僕もおじいちゃんのような人間に少しでも近づきたい

それのお礼の意味も込めて、先日、実家に行った時、
今年80歳を迎える祖父に今までのお礼の意味を込めて、
祖父が大好きな焼酎をプレゼントしたのです。

そしたら、手紙をもらった。

今でも幼い頃から全く変わらずに、
応援してくれるおじいちゃんに涙が止まりませんでした。

そんなおじいちゃんのことが、
僕はずっと大好きです。

そして、同時に僕も、
おじいちゃんのような人間に
少しでも近づきたいなと。

どんなに人のことを応援し続けられる、
カッコイイ人間になりたいなと。

 

きっと大丈夫。

あなたならできる。

行動すれば道は開ける。

 

と、人に希望を与えられることを言える人間に。

 

僕は数年前まで、
今まで不器用で仕事ができない。

人とコミュニケーションがうまく取れず、
初対面の人とは緊張しすぎて、声や手の震えがヤバい。

飲み会の席では手が震えすぎて、
「アル中ですか?w」とか言われたこともあります。

またコミュ障なことから
友達が殆どいない、彼女どこから女友達もない。

一人部屋で2chまとめを見て自分よりも悲惨なやつを探しては
自分はこいつよりも恵まれているなと思ったり、

銃で人を倒すゲームを一人でプレーして、
ストレス解消をするような寂しい人間でした。

 

僕はリア充とはかけ離れていた、非リアでした。

 

けど、インターネットビジネスに出会い、
お金を稼げるようになってからは、

僕の人生は映画や漫画のように、
本当にガラッと変わりました。

自分一人で仕事をして年収5000万円を稼ぎだす。

30歳までに二億円以上の売上も達成しました。

そして、コミュ障どころから、
「話すのが上手いですね」
としょっちゅう言われるように。

初対面の人でも緊張が一切なくなって、
同性や異性の友達も以前とは、
比べ物にならないくらい沢山増えました。

また自由な生活になり、
五つ星の高級ホテルに泊まったり、
色々なところに旅行に行けば本当楽しいです。

このような感じだから、
2chまとめを見ることはもうなくなりましたし、

家で一人寂しく銃で人を倒すゲームを、
殆どプレーすることはなりました。

その他にも友達と平日の昼間にテニスを楽しんだり、
スパでのんびりしながら仕事をしたりと、

ゆったりとリラックスしながら自分のペースで
楽しく仕事ができております。

僕はインターネットビジネスに出会ったおかげで
人生ってホント楽しいものなんだなと思えるようになりました。

だから、僕はインターネットビジネスを勧めております。

お金稼げるだけじゃなく、コミュ症改善できて、
人生大逆転できるものこんなコスパがいいもの他にないですから。

しかも、パソコン1台とネット環境があれば、
いつでもどこでもできますし。

そして、僕はインターネットビジネスを実践する人に

きっと大丈夫。

あなたならできる。

行動すれば道はきっと開ける。

と、成功するまで言い続けたいと思っております。

おじいちゃんのように僕も人に希望を与える
カッコイイ人間になりたいですから。

〜終わり〜

 

ps.書いている途中に過去のことを思い出して
泣いてしまいました。

僕はホント何もできないで辛かったなと。。。

けど、インターネットビジネスで僕は変われました。

だからこそ、僕はインターネットビジネスで人生を変えられると、
全力で伝えてきたいです。

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